2015.08.10
48年ぶりの熱中症
8月2日日曜日に始発のバス(4:59)に乗って、新横浜から東京始発の新幹線に乗って大阪の泉北(堺市)までゴルフのクラブのメジャメントをやってもらうために行ってきました。
泉北に着いたのが9時半頃で、それから近いゴルフレンジで様々なクラブを試し打ちした。
1時間程で100球程打って、プロ(まだニッセイのアマチュア)のアドバイスを参考にしてドライバーとアイアンとWedgeを作ってもらうことにした。(あまりの汗でシャツは全部取り替えました)
何度か運用会で講演をお願いした事もある鍛治さんの熱心なお勧めに従うことにしたのです。
なかなか日にちが合わず、何とか東京運用会のゴルフ8月22日に間に合わせてもらおうとかなり無理したスケジュールになったのです。
昼食をご一緒して14時半頃に淀屋橋のホテルへチェックインし、17時には難波で元運用会の会員と食事をし、21時半頃にはホテルに戻って早めに休みました。
次の月曜日は朝10時にお客さんにアポが有り、1時間ほど話をして東京に戻り、そのまま慶応病院へ直行する予定でした。
新大阪13時半の新幹線に乗り、あまり食欲も無いのでサンドイッチとお茶を買って、メールをいくつか処理して京都を過ぎた辺りで、少し眠ろうと思ったらいやに寒く感じて毛布を2枚かぶるように寝たのですが、悪寒が治まらずそのまま東京駅に着いて、寒くて歩けないので暫くホームのベンチに座ってジュースを飲んで身体を暖めていたら、今度はものすごい発熱(40℃近い)で全く汗が出なくなり、あきらかに熱が身体に蓄積している感じが分かり、やっとふらふらしながら歩いて信濃町の慶応病院へ行ったのですが、あまりの体調の悪さで本来の検査は一週間延期してもらい、緊急窓口で手続きをして2時間半程検査とか点滴され、他の病気かどうか慎重に判断され(隔離室に入れられました)、やっと20時頃帰宅を許された。
帰宅してからも薬が切れるとあっという間に38度以上の熱が出て、しかも何か口にすると直ぐに下痢してしまう為3日間程殆ど何も口に入れられなかった。
少しは体重が減ったかと期待して、毎日何回も体重計に乗ったのですが殆ど変わらないのに驚いた。
人間水さえあれば3ヶ月は生きられると言うのは本当だと思った。
体調が悪かったのは2週間程前に庭のドックランの草むしりを老人会の人に頼んだのですが、あまりにもいい加減で直ぐに伸びてしまい、仕方なく自分で2時間程努力して頑張った時に少し立ち眩みを感じて、これはまずいと思った事があったのです。
熱中症で思い出すのは姫野が学生だった時、初めての工学部体育会の夏合宿のとき、猛暑の中一日3ラウンドした時、夜から猛熱が出て先輩が何と医者を呼んでくれて事なきを得た事がありました。
その時の先輩の有り難さや懐かしさを48年ぶりにしみじみかみ締めています。
あれから何と48年ですが、昨日の事のように思い出された、熱中症でした。
また、今年は60年ぶりに肺炎になったのですが、60年前の母親と父親の会話を熱で夢うつつの中の小学校1年の姫野を思い出しました。
「この薬を飲まなければ手がありません」と医者に言われたようで、(ペニシリンを主体とした飲み薬だったのですが子供にとっては丸い大きな飴玉のような物でした)母親は大変落ち込んでおりました。
小さい時から病弱だった姫野は母親のために自分ができる事は薬を飲む事だけだと思って飲めたのです。
おかげさまで今日まで生き残ってきました。
これからは自分の年齢と体力のバランスをうまくコントロールしながら無理しないで楽しい終末を迎えられるように改めて努力しようと決意を新たにしております。(人に迷惑をかけないのが基本ですが)