株式会社ブロード代表・姫野惠悟のホームページへようこそ。
近頃思うこと
独立して6年目に入り、私なりに少し思うところがでてきました。これから独立なさる方々(?)の為にもゼロからのスタートから今日までをメモしておくこと、それに自分の次のステップを考える上でも少し価値があるような気がして、重い筆を運ぶことにしました。
昭和62年1月末付で14年間勤めた会社を退職しました。今思えば、なぜ辞めなければならなかったのだろうと不思議に思えてなりません。妻にだけは前々から話をしておりましたが、両親にも話が出来ず、しばらく図書館へ通ったりしておりました。(妻も一生は一度しかないのだから、自由にやって後悔しないほうが良い、と言ってくれました。)
もともと本は好きでしたが、3年間程は1週間に3冊のべ-スで本を読み、必要な所をコピーしたり、メモしたりしました。(今回、引越したので大きなバインダー3冊分ありましたが、思い切って捨てました。)
その時、偶然というものについてずいぶん考えさせられました。人一人の力は知れていること、自分の意志で出来ることは限られていること、独立を保つのは難しいこと、人の持っている運は簡単に変わらないこと、等々。文字が造り出す人の織りなす綾。綾。綾。目算があって独立する訳ではなかったのでとても不安でしたが、運良く(今から思えば)退職ができたと思います。
退職を決意する3年程前から(勤めて2年目頃からそう思い始めましたが)
① 自分の仕事(人生)に責任を持ちたい。
② 王道を歩め。
③ 清い水にしか清い魚は住まない。(野村証券の社訓)
④ 過去に囚われる者は未来を失う。
⑤ すべての回答はユーザサイドに有る。
⑥ 平等と自由
⑦ 独立自尊(福沢諭吉の教え)
等々の気持ちが強くなっていきました。今もこの気持ちは少しも変わりませんが、しいて言えば平素心を中心に物事を考え、行動しようと思うようになってきた点でしょうか。人はどうしても目先やその時の環境に影響されがちですが、ゆったりとした時間の中では少々のことは影響されないことがわかってきたような気がします。今までの6年間は、必要な時に必ず必要な人がそばにいてサポートしていただいておりました。自分が何も出来ないのにとよく思うことがあります。本当に今まで良い人にめぐり会い続けられたなと感心しますが、これからもそうありたいと念じております。
話をBROADへ戻しますと、退職時から3年間は前の会社の ①敷居を跨がないこと ②同じ仕事をしないこと ③人を採用しないこと を心に決めました。そんなこんなで気持ちの整理をすることもあり、1年間は遊んでいることにしました。現在の中心的業務となった汎用コンピュータのソフトウェアパッケージでのSEA社との出会いもまったくの偶然でした。(SEAl社で年間4億の売上になっています。)その後、海外の数社と契約出来たのも偶然の連続でしたし、いろいろな分野の会社と販売について援助いただけたのもまったくの偶然からでした。出会いの妙というのか、BROADの仕事は新しいタイプのソフトウェア流通業者として、パッケージ・ソフトの流通に寄与しなければいけない使命を与えられているような気がしてなりません。なんとかこの日本で一流(良い会社)と言われるようになりたいと考えております。ブロードを設立してから6年、必ずしも良いスタートをという訳でもありませんが、海外からもブロードやグローバルの評判を聞いてコンタクトがあるようになってきています。(ブロードの関連でソフトのコンサルティング&輸出入商社としてグローバル・ソフトウェア・ネットワークがあります。)ブロードはユーザとのインターフェーサとなり、ユーザに満足してもらうことが重要であり、どの国にメーカがあろうと、どの国にユーザがあろうと、ほとんど関係が無いと考えております。現在、メーカとして海外5社・国内3社と契約し、販売パートナとして十数社とパートナ契約を結んでおり、(現在は退職した会社も含まれます。)ユーザも200社に近づいております。
最初に述べましたが,これからの6年がとても大切な時期だと考えています。(小生もあと6年で50才、2000年まであと1年ということになります。)その為にも、ブロードが姫野個人の会社でなく、公器として働かなくてはなりません。多分、私一人では10~20億位の会社にしかなりません。又、私を支援してくださっている人々もどんどん歳をとっていきます。新しいタイプの会社として21世紀に生きていく為には、今から20代・30代の若い力が必要なのは当然です。忘れもしません。退職直後の昭和62年4月21日に有志の方々に「姫野恵悟を励ます会」というのをやっていただきました。その最後にご挨拶をさせていただいた時『百姓』という話をいたしました。[なぜ『ひゃくしよう』と書くかと(一つの種から百生まれることからきている)又、苺というのは一つの母株から百の子が生まれ、それらが又、母株となるというのを伊豆のお百姓さんから聞いたこと]今はこれにまして、一つの種の大切さとさらに毎年同じことを愛情を持ってしなければいけないことを、そして大きな自然の力には何人たりとも無力であることを痛感しております。非常に難しいことと思いますが、新しいタイプの複数の若いプロジェクトリーダを育成していくのが私の大きな仕事と考えています。人や会社から与えられるのを待っているのではなく、独立自尊を保ちながら、過去に囚われず平素心で仕事をしていく人。少し欲ばりかもしれませんが、21世紀を生き残る為にはこれくらいの人物でないと難しいかもしれません。とは言っても一番大切なことはいつも自分の能力を高める努力をし続けることなのでしょう。
世の中もそうですが、コンピュータ業界も予想もつかない変動が起きております。この変化がブロードのエネルギーとなり、大きなチャンスとなっていくことを念じております。最後に、今まで御世話になった方々に深く感謝をし(今後も当然引き続き御世話になろうと勝手に思っておりますが)、縁あれば-緒に仕事が出来ないかなと近頃思っております。
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